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京都地方裁判所 昭和56年(ワ)220号 判決

原告 田中恵美子

〈ほか一名〉

右原告ら訴訟代理人弁護士 村井豊明

同 稲村五男

同 加藤英範

被告 松波昇

〈ほか二名〉

右被告ら三名訴訟代理人弁護士 和田政純

主文

一  被告らは各自、

1  原告田中恵美子に対し金八万円及び内金七万円に対する昭和五五年一〇月一八日から、内金一万円に対する昭和五七年四月二八日から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員、

2  原告田中寛子に対し金九万円及び内金八万円に対する昭和五五年一〇月一八日から、内金一万円に対する昭和五七年四月二八日から各支払済みに至るまで年五分の割合による金員、

を各支払え。

二  原告らのその余の請求をいずれも棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告らの、その九を原告らの各負担とする。

四  この判決一項は仮に執行することができる。

事実

第一申立

一  原告ら

被告らは各自原告田中恵美子に対し一二〇万円、同田中寛子に対し一七五万円及びそれぞれこれらに対し昭和五五年一〇月一八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告らの負担とする。

仮執行宣言

二  被告ら

原告らの請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  (事故の発生)

被告らは、その所有する京都市中京区西ノ京南原町八〇番地(宅地五四・二八平方メートル)の工場に、染色廃水処理装置の建造工事をすすめていたがその塗装工事を松村塗装店(経営者松村茂)に請負わせ昭和五五年一〇月一七日の朝から塗装工事を強行した。ところが、右塗装工事で使用されたポリライトFG―三八七には人体に悪影響を及ぼすスチレンモノマーを含有しており、そのスチレンモノマーが気化拡散して原告ら宅まで流出し、原告らはそのスチレンモノマーの影響により頭痛嘔吐の症状を呈した。そこで、訴外田中英己らが工事の中止を求めたところ被告らは工事を一時中止した。田中らが京都市公害対策室に連絡して薬物検査を依頼したところ公害課の職員が検査に訪れ、同日午後三時四〇分頃田中宅で薬物の測定をした結果キシレン八PPMが検出された(スチレンモノマーが作用してキシレンと同じような反応をした。)ので、京都市の職員は工事を中止するように指導した。それにもかかわらず、被告らは翌一八日に廃水処理装置のマンホールのふたを締めきった儘で松村塗装店に塗装工事を強行させた。

原告らは、薬物による影響が心配になり昭和五五年一〇月二〇日に西大路病院で診断を受けたところいずれも加療約一〇日間を要する急性薬物中毒と診断され、その後同年一一月一日まで同病院で治療を受けた。

2  (責任原因)

被告らは、請負人をして危険な塗装工事を強行させ原告らに加療約一〇日間を要する急性薬物中毒の傷害を負わせたから、被告らは原告らに対し連帯して民法七〇九条、七一六条但書による損害賠償責任がある。

3  (損害)

(一) 原告田中恵美子 合計一二〇万円

慰謝料      一〇〇万円

弁護士費用     二〇万円

(二) 原告田中寛子  合計一七五万円

慰藉料      一五〇万円

原告田中寛子は、右事故当時妊娠六か月の身重で胎児に与える影響も心配しておりその肉体的精神的苦痛ははかりしれない程大きい。

弁護士費用     二五万円

4  よって、原告らは被告らに対し請求の趣旨記載の金員の支払いを求める。

二  被告らの認否及び主張

1  請求原因1の事実のうち、被告らが松村塗装店に原告ら主張のとおりの塗装工事を請負わせたことは認めるが、塗装工事を強行したこと、及び被告らが工事を一時中止したことは否認しその余の事実は不知。同2、3の事実は否認する。

2(一)  工事現場付近で検知されたのはキシレンであり、塗装に使用されたポリライトにはキシレンは含有されていない。

(二) 仮に、原告らの頭痛や嘔吐が被告ら方の塗装工事によるものであったとしても、被告らは請負工事の注文者として工事人松村茂に対し付近住民に迷惑を及ぼさないよう排気に注意するよう指示し、排気口を被告ら所有工場内に向けるよう指図しているから工事の注文又は指図に過失がなく損害賠償責任は存しない。

(三) 被告らに責任が認められるとしても、原告らは松村茂から既に賠償金として六万円を受領しているからこれを損害金から控除すべきである。

第三証拠《省略》

理由

一  (事故発生の経緯と責任)被告らが京都市中京区西ノ京南原町八〇番地の工場で染色廃水処理装置の塗装工事を松村塗装店(経営者松村茂)に請負わせた事実は当事者間に争いがなく、この事実と《証拠省略》を総合すると、次の事実を認めることができる。

昭和五五年一〇月塗装業者松村茂は被告らからの注文を受けて前記被告ら工場の染色廃水処理装置の塗装工事を請負い同年同月一七日から工期二日半の予定で右塗装を開始した。工事内容は、地下部分のコンクリート水槽の内側に塗装ポリライトFG―三八七をローラーを使って塗る作業であった。作業の第一日目(一七日)は午前一〇時三〇分頃から開始され午後四時頃終了した。

原告田中らは、被告工場の近隣に居住するものであるが右同日午前一〇時三〇分頃自宅の床下付近から都市ガス様の臭気を感じ、原告ら方の北側に位置する永井方でも同様の臭気に気付いてガス会社に調査を依頼し、同日午後二時頃になってその原因が被告ら工場の塗装工事であることを突き止め、続いて京都市の公害課に連絡して調査するよう求めたところ、同日午後三時四〇分頃同課員が原告ら家屋内で検知管法による調査を実施した。その結果被告ら工事現場から拡散した薬物が反応したと考えられるキシレン八PPMの測定結果がでた。

被告らは、本件工事を始めるに当って松村茂に対し予め排気ダクトを被告ら工場の方へ向け近隣に迷惑をかけないよう指示し松村もこれに従って作業にかかった。しかしながら、近隣から悪臭による苦情や右のような検査結果がでたことから、同月一七日午後四時三〇分頃、京都市公害課の課員が被告ら方を訪れ被告らに対し、近所から苦情が出ているからできたら塗装工事を中止するよう申入れを被告らと協議を重ねたが、被告ら側から危険物取扱主任を立会わせること、排気ダクトの本数を増やし排出口の全部を工場の方へ入れること、老弱者病人には前もって避難場所へ行ってもらうこと、の三条件を実施するから工事を続行させてほしいと希望し、市側は、やるというなら仕方ないが慎重にやってほしい、市の方も立会う、ということで翌日からも予定通り工事を続行することになった。

被告松波義雄、松村の両名は同月一八日朝から近所に悪臭を拡散していることの詫びを入れ、かつ気分が悪い人は用意した場所に一時避難してほしい旨告げて巡回した後午前一〇時頃から工事を再開し午後二時頃一応工事を完了した。第一日目(一七日)は排気ダクトの口を工場に向けていたにすぎなかったが、第二日目(一八日)はダクトを長くしてその排気口を被告ら工場の中へ持込んで工事を続行した。また第二日目は市職員が工事現場に立会い排気ガスを測定していたが午前一一時五〇分から午後一時三〇分迄の被告ら方境界線上での測定結果はキシレン〇ないし三PPM、午後二時及び三時ではキシレン〇ないし二PPMであった。

キシレン、トルエンは京都府公害防止条例の有害物質に指定されていて、規制基準は、キシレンについて敷地境界線上五PPM、排出口五〇〇PPM、トルエンについて敷地境界線上三PPM、排出口三〇〇PPMとされている。本件塗料ポリライトFG―三八七の含有物質は、ポリエステル樹指五三%、スチレンモノマー四七%である(キシレン、トルエンは含有されていない。)。前者は本件作業量ではほとんど気化拡散せず原告ら方に達することはない。後者は気化拡散することが考えられ、くり返し皮ふにつくと炎症を起し、目、粘膜を刺激し催涙性があり高濃度の蒸気は麻酔作用がある。

前記公害課の調査は、塗装工事に伴う臭気被害について通常想定されるトルエン、キシレン用の検知管が使用されたためスチレンモノマーの濃度は測定されなかったが、化学反応上スチレンモノマーの作用により右検知管に塗布してある五酸化よう素に反応して遊離することはあり、本件でもこのような反応があってスチレンモノマーがキシレンとして測定されたものと考えられる。

以上の事実が認められ右認定を左右するに足りる証拠はない。

右事実によると、原告らの被った後記障害は被告ら方の前記塗装工事殊に第一日目の工事に伴い発生拡散した塗料ポリライトFG―三八七に含有のスチレンモノマーによる薬物中毒と認めるのが相当である。そして、被告ら注文者の塗装注文に基づき松村が本件塗装工事を開始続行した結果右被害が発生したものであり、また被告ら注文者は使用される塗料の周囲に及ぼす影響について関心を払い塗装業者の説明を聴取し通常納得できる程度の工事方法であることを見極めたうえ工事にとりかからせ、工事開始後に当初予想した以上の悪臭を発し他に被害を及ぼす危険が感じられた場合は時期を失せず工事を中止させるか、これを防止するための万全の措置をとり加害を防止すべく指示すべきであったにもかかわらず排気ダクトを塗装現場より被告ら方工場の方向に向けるよう指示しただけで作業を開始続行させて第一日目の作業を終り、近所から苦情がでてから後は市公害課員と話合ったとはいえ排気ダクトを長くしてその排気口を被告ら工場の中へ持ち込んだ程度の措置をとっただけで作業を続行させ前記被害を発生させたというのであるから、加害を防止すべき措置を怠った過失が認められ、被告らは連帯して原告らに対し右損害を賠償すべき責任があるものというべきである。もっとも作業第二日目には右のとおり排気方法を変えた外原告らに対しては避難場所の提供をも申出ているけれども、前記のとおり原告らの被害は主として作業第一日目の排気によるものと認められるので、右改善措置をとったことにより責任を免れることはできない。

二  (損害)

1  《証拠省略》及び前記事実によると、次の事実を認めることができる。

(一)  原告ら両名は、前記臭気により昭和五五年一〇月一七日頃より頭がふらつく、ぼやっとする、目が染みる、鼻詰り、嘔吐感等を訴え、同月二〇日京都市中京区西ノ京東中合町一二番地西大路病院で診察を受け急性薬物中毒の診断を受け、同年一一月一日まで(実治療日数七日)通院して治療を受け回復した。

(二)  塗装作業は連日約四人の作業人によってなされたがいずれもマスクその他の防着をつけることなく塗装すべきマンホールの中に入って塗装作業をしていたが被害を訴えた者はなく、近隣住人についても原告ら住居位置より作業現場により近い住人を含め臭気に不満をもった者は多数あったが、治療を必要とする程度の目立った被害を訴えた者は原告ら以外にはなかったこと、本件工事自体が公害防止を目的とする廃水処理装置の建造工事の一部であり被告らも一応対応策を講じていたこと、原告田中寛子は当時妊娠六か月の身重であり胎児への影響も心配したがその後無事出産し本件排ガスの影響も認められていないこと等が認められ、前記症状、程度、通院期間とこれらの諸事情を総合考慮すると、被告らに請求しうべき慰謝料(全損害)の額は原告田中恵美子について一〇万円、同寛子について一一万円とするのが相当である。

2  ところで、《証拠省略》によると、原告らは松村茂から本件工事に伴う排ガス拡散による被害の賠償金として六万円を受領していることが認められるから、原告ら両名についてその各二分の一に当る三万円宛を右各損害金から控除するのが相当であり、そうするとそれぞれの請求しうべき残額は、原告田中恵美子について七万円、同寛子について八万円となる。

3  原告が本件訴訟の遂行を弁護士に委任していることは記録上明らかであり、本件訴訟の内容経過、訴訟の難易、認容額その他の事情を勘案すると原告の支払う弁護士費用のうち本件事故と相当因果関係ある損害として請求しうべき額は原告らについて各一万円とするのが相当である。

この弁護士費用に対する遅延損害金は本判決言渡の翌日である昭和五七年四月二八日から起算するのが相当である。

三  よって、原告らの本訴請求のうち、被告らに対し連帯して、原告田中恵美子が八万円とうち七万円に対する本件事故後である昭和五五年一〇月一八日から、うち一万円に対する昭和五七年四月二八日から各支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払、原告田中寛子が九万円とうち八万円に対する右同昭和五五年一〇月一八日から、うち一万円に対する昭和五七年四月二八日から各支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める部分は理由があるからこれを認容し、その余の部分は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条一項、仮執行宣言につき同法一九六条一項を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 吉田秀文)

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